外に出る

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- 今日は劇団ヨアガキの興梠(こうろぎ)陽乃さんにお話を伺います。劇団ヨアガキは24年10月に神楽物語集・二 『魚鱗之舞』を上演されましたが、25年11月には三集目の「鱗打之跡」を上演予定ですね。その辺りも後ほど伺いたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。最近、興梠さんはどんなご様子でしょうか。
- 興梠
- よろしくお願いいたします。そうですね、今は「演劇をする」ということ自体を改めて見つめ直している段階ですね。本当に演劇だけでいいのか、お祭りのような形態をとりうる総合芸術演劇のあり方はないのか、と考えています。劇場を借りて上演するという枠組みから、少しずつ離れていきたいと思っています。
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- 一般的な演劇というと、戯曲があって俳優がセリフで物語を進めるものだと思いますが、そこから抜け出したいと。
- 興梠
- 演劇を作っていると、どうしても脚本家と演出家がすべてを統治する構造になってしまうんです。ヨアガキはメンバーは私だけで、キャストやスタッフは毎回お世話になっている半固定の方々なんですが、たとえば音響スタッフさんは本当は音楽製作をやりたいとおっしゃっていたり、宣伝美術の方は映像や写真、本の装丁を手がけていたりと、それぞれにクリエイティビティがあるんです。それを演出家の頭の中だけで包括してしまうのはどうなんだろう、とここ1年ほど感じています。どうあるべきかはまだ分かりませんが、それぞれが作っているものが対等に存在できるやり方はないだろうか、と考えています。
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- フェスのような空間を早速思い浮かべてしまいました。
- 興梠
- フェスはすごくやりたいですね。お祭りのような感じで。フードフリーで投げ銭制の祭りをする、というのが今やりたいことの一つです。
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- それはいつ頃からお考えになっていたことでしょう。
- 興梠
- 小屋を借りて公演をし続けることに飽きがきた時期からです。それこそTheatre E9さんで上演させてもらうようになってから。旗揚げ当初は小さなギャラリーで公演していたのが、よくここまで来たなあと思いつつ、今後もずっと劇場を借りて公演をし続けるのは凄い事ですが大変ですし、それだけでいいのだろうかと。良くも悪くも上演したら終わりなんですよね。お客さんの記憶に残るかもしれませんが、もう少し波及力のあることもしたい。私はフジロックのような大規模なものではなく、少しアングラなフェスに行くのが好きなんですが、そこで知り合った人たちと話しているうちにいま自分がやりたいのはこういうことなのかもしれない、と。
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- フェスのような空間では、確かに色々なアートが一堂に会しますね。
- 興梠
- その場では、一つの作品を作る人たちの立場が全員対等であってほしい。さまざまなものを作っている人たちが集まって、ライブもあるし演劇もあるし、写真も展示されていて、音楽もあって、フードもある。そんなフェスをやりたいな、という感じです。
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- 興梠さんご自身が、その中で世界観を主導したいという思いはないのでしょうか。
- 興梠
- あまりないですね。これは結構矛盾しているんですが、私の頭の中に生まれるイメージは、私が主導しないと生まれないものでもあるので。今後の課題なんですが、「支配」という手段を使わずに世界観を作ることはできるだろうか。やりたいことと生まれてしまうものが、少し一致していないというところがあります。だいぶ長いこと、それに苦しんでいる気がします。
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- 確かにフェスのオーガナイザーは物語ではなく場をプロデュースするという立場だと思われますが、劇作家は物語を生み出す立場ですね。そこには矛盾がある。それは、前回公演「魚鱗之舞」ではどういう折り合いを付けていたのでしょうか。
- 興梠
- フェス的な演劇空間は、魚鱗之舞でやろうとして成功しなかったことですね。ただ今振り返るともっと建設的なやり方があっただろうなと振り返るところもあります。
劇団ヨアガキ
2021年結成の演劇企画。興梠陽乃が主宰・劇作・演出を行う。身体表現、踊りを交えたエンターテインメント芝居を特徴とし、熱量ある身体性と緻密な会話を強みとして持つ。民俗学や共同体論の考えを基に、民謡なども踏まえつつ、社会構造と人の営みについて描く。
劇団ヨアガキ神楽物語集・二 “魚鱗之舞”
脚本・演出|興梠 陽乃 公演期間:2024/10/25~27。会場:THEATRE E9 KYOTO。
相対化される集団①

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- 前回公演「魚鱗之舞」について。物語のテーマは、政(まつりごと)と人間という複数のレイヤーで揺れ動く人間性ということだったのかなと思っています。そもそも政治家というのはものすごい人種ですよね。どの国でもどの時代でもネガティブな意見論評、果ては暴力にさらされながらも人間たちを率いていこうという本能?使命感はなかなか理解できないですよね。
- 興梠
- そうですね。執筆時も悩んでいました。政治家たちをたとえばものすごく傲慢に描くこともできたんですが、最終的には「世を良くしたい、人々の生活を良くしたい」という根源的善意が彼らにはある、という個人的な希望を込めた描き方にしました。もちろん現実的にはそれだけではないと思うんですが。
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- 生活をより良くし合いたいという期待と信頼によって社会は成立しているものだと思うんですが、そこに異分子集団が出現してきた時にどうなるのかが集団の本質を露わにしてしまう、という展開もあの作品にはあったと思います。異分子が自分たちを相対化する。統率者の人格も出た。
- 興梠
- その距離感はどうでしたか。言っても役者さんが5人しかいない狭い空間の中で民族と民族の対立みたいなものを描く時に距離感が近すぎてしまったんじゃないかなと思って。
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- キャストの演じ分けという側面からはあまり違和感はなかったです。それよりは、隣国の分かり合えない人たちへの懸想であるとか絶望であるとかの感覚がありましたね。しかし結局はその違いを受け入れてやっていくしかないという、共感できる終わり方だったかなと思います。主人公にしても、結局は政の世界に身を置くことを自分で選ぼうとしてましたし。ご自身としてはどんな経験でしたか?
- 興梠
- やっぱり劇場でやるのはとても大変だなと思いました。座組はできるだけ同世代で固めて、これでどこまで行けるのかというちょっとした挑戦だったんですけど、うまくいかないことの方が多く。反省の宝箱みたいな感じでしたね。
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- いい表現ですね。宝箱ということはもうポジティブなご認識なんですね。
- 興梠
- ちょくちょく開けては取り出して振り返ってます。
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- 失敗を次に生かすのが一番大切ですね。さて、今年の11月には第三集が控えているということでとても楽しみです。
劇団ヨアガキ神楽物語集・三 “鱗打之跡”
脚本・演出|興梠 陽乃 公演期間:2025年11月末。会場:THEATRE E9 KYOTO。
旅

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- 演劇でどのようなクリエーションをしたいですか?
- 興梠
- 祭りとかフェスとかが演劇の延長線上になるのかまたは全く別の活動になるのかは分からないという前提ですが・・・最近の自分のテーマを言語化したんですが、「脱都神話」という概念を作りまして。今後はこれがモチーフになると思います。
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- それはどのような概念でしょうか。
- 興梠
- 今、メインストリームだった様々な集団・組織ひいては社会がどんどん崩壊している状況があります。それは都市も同じ。その状況で、本拠地を一度抜け出して旅に出た人が、全然違う価値観に触れたうえでもう一度自分のいた場所を見つめ直すと全く違うものが見えてくる。本拠地は実は虚像だったのかもしれないし、あるいは大切なものが内包されていると初めて気付く可能性もある・・・そのような構造のお話を今後やっていきたいです。私は、ある種社会活動としての演劇をやるという方に振ってるんですよ。自分たちのいる場所をもう一度見直す機会を作りたい。そうした問題提起としてのお話をやりつつ、スタッフさんや役者さんの仕事が平等に確立されフュージョンされている状態を作りたいなと思っています。
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- ありがとうございます。都を抜けた後に他者に出会う、というのが「脱都神話」の肝なのかなと思いますがいかがでしょうか。
- 興梠
- それが「神」に当たる部分なのかなと思います。人間ではなくまさに神なのかもしれないし妖怪、自然現象かもしれない。いずれにせよ、都市空間の構成から排斥された余剰に出会うという経験は、どういった人にとっても必要なんじゃないかなと思います。当たり前ではないものに出会い、自分の価値観が相対化され、自分の生き方を再構築するというお話を作りたいと思っていますね。
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- なるほど。一方で、都市が排斥しきれず内包した膿も神になりうるのかなと思いますが。
- 興梠
- 私は、抜け出す主人公の中にその膿が溜まってると思うんです。その状態で理解できない外の存在に出会う経験で、排出されるかもしれないですしあるいは癌になるかもしれない。脱出することでより関係性が強固になってしまうこともあるかもしれない。そこには葛藤もあるでしょうが、その過程を通して共同体の問題を描きたいと思っています。
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- 主人公は旅をすることで、結果はどうあれ変わるのですね。その中で見えてくる「都」。
- 興梠
- 停滞というか一つのところにとどまり続け、生活を妄信し続ける時代はもう終わったと思ってるので。経済的にも政治的にも。このまま止まっていたら気づいたら大切なものが奪われてしまっているかもしれない。まずそこを自ら逃げるでもいいですし戦うでもいいですけど動いてみようよというメッセージ性は自分の作品にいつもあったと思います。それが脱都神話に集約されたのかなと思います。
相対化される集団②
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- 旅によって再構築される生き方や人間像も描きたいというところでしょうか。
- 興梠
- そうですね、それはある種個人的な願望でもあると思います。なんですかね、共同体というのがあまり好きではなくて。群れて、その中で通用するコードを使って会話するみたいなのが苦手で。でもそこから抜け出したところで我々はどうなるんだろうか。果たして、アイデンティティを喪失するだけだろうか、実際どうなるのかというのを作品の中で実験したい、という側面はあると思います。
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- ありがとうございます。それは劇的なシーンとなりそうですね。
- 興梠
- 見てくれた人が自分に照らし合わせて感動できるのが、やっぱり良いシーンだと思うんですよ。役者さんがどんな演技をしても、演出がどんなことをしても、結局は見てくれた人がそのシーンを持ち帰って、自分の生活の中でちょっと振り返ってくれたり、元気になったり救われたりしてくれたら、それが一番嬉しいです。そのためにいろいろ試行錯誤している感じですね。
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- それは、フェスの構想でも同じ?
- 興梠
- フェスとかお祭りの光景自体がそのまま記憶として物語になることも、結構あると思うんです。お客さん一人ひとりに訴えかける物語を届ける演劇創作と、今この瞬間の体験を記憶として残すフェス、そういうふうに分けて考えられるんじゃないかな、と思います。
演出助手の現場
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- 興梠さんは市原佐都子/Qの「キティ」で助演出もされていましたね。大変面白かったです。ご自身にとってはどんな経験でしたか?
- 興梠
- 助演は現場によって全く役割が違うので。今回に関してはキャパシティと技術力の戦いという感じでしたね。南野詩絵さんの衣装のお手伝いもしましたが、詩絵さんはプロなので、3分ぐらいでズボンが出来上がってるみたいな感じなんですよ。だからお手伝いになっていたかどうか。
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- なるほど。
- 興梠
- 実は本番は一度も客席から見ていないんですよ。ずっと裏側で走って着ぐるみや小道具を運んだりしていました。どちらかというと裏の導線や衣装管理などマネジメントの勉強をさせてもらった感じでした。衣装小道具のメンテの効率化、脱着のフォローなどの導線整理などを、演出助手3人(川村智基(餓鬼の断食)、高木沙羅々)であーでもないこうでもないと言いながら。
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- 私が拝見したステージでは、全然綻びとか見られなかったですよ。
- 興梠
- ありがとうございます。ラストシーンの裏で洗濯を始めるみたいなことをやってました。
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- すごいですね。肉ニンゲンが可愛かったですね。
- 興梠
- 花本さん、よくあの衣装を着てあそこまで踊れるなと思いました。衣装を何度も脱がせて着せて。実は肉ニンゲンの衣装は毎ステージ装飾が増えてました。初日から1.5倍くらいになっています。南野さんはステージが始まってからも本番10分前までミシンを動かしてました。
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- お疲れ様でした。5月はベルギー・オーストラリアと、ツアーもあるんですよね。頑張ってください!
市原佐都子/Q『キティ』
【東京公演】2025/3/1~2@スパイラルホール。【京都公演】2025/2/17~24@ロームシアター京都。
逃亡の果てに
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- 「キティ」も脱都神話なのかなと思いますね。
- 興梠
- そうですね、ものすごいカタルシスのお話でしたね。影響されすぎないように気をつけないといけないですね。
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- 主人公の「ねこ」は、人間社会への鋭い洞察力を持ちながらも積極的な働きかけはせず常に排斥される側でした。ホストクラブでしか笑顔になれなかった彼女は地球外への逃亡の末に最終的に神となり、人間との対話は完全に放棄しました。しかし人間を地球丸ごと監視し続けるのを選んだのは、社会への憧憬があったとも言えるのかなと思います。さながら月のように地球を監視する彼女は、見ようによっては憧れ続けているとも言える。ですが、これは逃亡と本質的には変わらない。
- 興梠
- 逃げ続けた先で暮らすことが良いのか悪いのかというのは誰にも語れないと思いますが、共通テーマになりうるぐらい重要だと思います。
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- VUCAの時代で生まれたから、「安定した社会」の外に身を置かないと安定しないのかもなと思います。逆に。カオスの中でしか生きれないから神になるしかなかったのかも。
- 興梠
- 確かにそれはありますね。安定と普通は別にイコールではないのに相関関係を無理やり存在させて神話化し、自らを成り立たせる現代社会については意識させられますね。
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- いつの間にか、普通という概念も変わっていってしまってますからね。
- 興梠
- ガイア理論じゃないですけど、世界はあくまでも生き物であるという見方はもう一度意識しないと飲み込まれるんじゃないかという点は、現代社会のサイクルの中にいて思います。
質問 大路絢かさんから興侶陽乃さんへ
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- 前回インタビューさせていただいた大路絢かさんに質問をいただいてきております。「なぜあなたは表現をするのですか?」
- 興梠
- ものすごく素直に言うと、やらないと爆発してしまうから。多分筋トレとかカラオケとかランニングとかに近い、自分の中で抑えきれないものが自分の中でふつふつと噴出していて、それが社会に対する危機感だったり怒りだったり人間関係に生きる憤りだったり悲しさ、どちらかというとネガティブな感情が多いんですがそれが自分の中でとどめておけなくなると、それ自体がなかったことになってしまうじゃないかという感覚が芽生えてきて怖いんです。なら、なんとか形にすることで生きている爪痕を残そうという想いがあります。表現といいつつ、個人的な発散かもしれない・高尚なことではないかもしれない・・・が、そういう感じですね。
自由の場を探して

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- 今後はどんな感じで。
- 興梠
- そうですね、やっぱり一番大きいのはオルタナティブな場を作りたいということですね。それこそ小屋を借りて演劇をするというところから脱出して。路上演劇もしてみたいし。現状存在している構造とか、固まっているものを壊したり乗り越えたりするのがとにかくとても好きなので。そういうオルタナティブ演劇を作りたいですね。というかそもそもオルタナティブとは何なのかという問いとずっと付き合っていかないといけないですね。
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- ありがとうございます。私が考えるオルタナティブは、上演中、お客さんが自分の見るものや見たものの価値を自由に決められる、その保証があるという意味なのかなと思いますね。
- 興梠
- フェスをフードフリーの投げ銭でやりたいというのも、来た人が価値を決められるということなのかなと思います。上演する側も鑑賞者も価値基準を押し付けられない、自分の感覚を信じて価値を作り、その受け取り方も自分で決めていい。そうした様相が実は芸術の根源である気がします。
HydraPak スピードカップ

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- 今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持ってまいりました。どうぞ。
- 興梠
- ありがとうございます。よろしければ開けても・・・
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- どうぞどうぞ。
- 興梠
- (開ける)あ、コップ?
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- 折りたためるコップです!
- 興梠
- よく山で焚火したり川でダラダラしたりするので、これでビール飲みます。